よくあるご質問
阿波和紙について ~その歴史や由来~
- Awagami Factoryの概要を教えてください。
-
Awagami Factoryは阿波手漉和紙商工業協同組合が意匠登録をしている登録商標です。阿波の徳島で作られた和紙の総称的な意味合いがありますが、伝統にとらわれない新鮮な感覚で生活提案した和紙及びその加工品のことです。
アワガミファクトリーでは、生産部門として手漉き部門、機械抄き部門、染色加工部門、和紙加工部門、販売企画部門として、アワガミファクトリー東京企画室、阿波手漉和紙商工業協同組合、富士製紙企業組合商事部門の3つの部門に組織を分けています。
手漉き部門は、アーティスティクな和紙の生産を目指しています。特に、デザイナー、写真家、アーティストの方々との共同制作が出来る設備と技術の蓄積を計っています。
機械抄き部門は手漉き紙に近い品質の和紙を量産することを目的としています。
染色加工部門は手漉き、機械抄き部門で生産された紙を後染めによる加工をしています。
和紙加工部門は和紙によるグッズを製造しています。 - 阿波和紙の起源について教えてください。
-
波の紙のおこりについては、忌部氏の一族の斎部広成(いんべひろなり)と言う人が「古語拾遣」を書き残していますが、その中に「天日鷲尊(あまのひわしのみこと 阿波忌部の祖先)が阿波国に来て、麻、楮を植えました。その所を吉野川市(旧麻植郡 おえぐん)といい、今もその子孫が住んでいます。
天皇が即位され、天地の神々を祭る大甞祭(だいじょうさい)にはその子孫が荒妙(あらたえ 麻の織物 古くは楮から取った繊維の織物と言われている)を奉る。」とあります。最近では、大正天皇、昭和天皇と現在の天皇が即位する時に奉納されました。
楮は「こうぞ」と発音します。紙が作られる前には、これを布に織ったものを太布(たふ)といって着物にして着ていました。読んで字のごとく太い糸を使った粗い布です。太布は楮、麻、かずら等の繊維を使って出来た布の総称と考えてよいと思います。紙は、大昔から漉かれていたものですが、阿波国では忌部族が初めて作ったものと思います。忌部族が阿波国に入国したときについては、吉野川市(旧麻植郡)山川町の忌部山の古墳が六世紀頃のものとわれていますから、今から1400年前のことでしょう。紙はこのころから漉かれたものと考えられます。漉いた所も麻植郡内にあったと思われます。我が国では曇徴(どんちょう、今の韓国の僧)が来てから36年後に大化改新という政治改革のもと戸籍が作られることとなりました。阿波国でも、残っている記録を見ますと大宝2年(702)紙の原料の楮が70斤(1斤600g)雁皮が100斤年貢として納められており、延喜2年(902)に板野郡田上郷という村の戸籍法の一部が残っているので、阿波国でもこの時代に紙が漉かれていたことになります。
江戸時代には、幕府が各藩に産業をさかんにするように命じたので各藩に特産物ができました。阿波の特産物は四木三草といって、四の木は楮、桑、茶、漆であり、三草は藍、さとうきび、煙草です。その中でも藍と紙は全国的に売れ、藩の財政をうるおしました。明治時代には、徳島県でも紙を漉く家が500軒もあり、その内の200軒が吉野川市(旧麻植郡 おえぐん)山川町にありました。やはりそれだけ紙を漉くのに適した土地柄だったのでしょう。<注釈>古語拾遺(こごしゅうい)とは、平城天皇のころ忌部広成という人が、自分の家系が衰退していくさまを嘆き、天皇に「私の家系は朝廷にもこんなにお仕えしていますよ、少しは目をかけてください。」と書き送ったもので、その中にこの徳島(昔の阿波)で初めて紙漉きを始めたとか大甞祭(だいじょうさい)の始まりの事などが書いてあります。大甞祭(だいじょうさい)とは、大甞会(おおにえ)ともいって、天皇即位の式後、皇祖天照大神に悠紀(ゆき)主紀(すき)という二つの神座(かみざ)をもうけ、天皇自ら行なう一世に一度の大典です。悠紀殿では寅の一刻(午前三時)暁(あけがた)の膳を供え、主基殿では、亥の一刻(午前九時)夜の膳を供えます。その二殿に供えるものの一つが荒妙(あらたえ)なのです。
なお、これら歴史については、下記の本に詳しく紹介されています。「荒妙と川田和紙」宇山清人著 18.5x13cm 133ページ 927円
阿波和紙伝統産業会館資料編纂室まで。 - 徳島県山川町には、なぜ和紙が残っているのですか?
-
明治の初期(1880年頃)までは日本各地にたくさん紙漉き村がありました。その頃から便利な洋紙の使用が盛んになり、現在では日本中で、約30か所くらいの町村で、新しい需要の開拓に努力しながら残っております。
- 和紙造りの研修会は、行なっていますか?
-
1983年から毎年8月頃に、日本古来の伝統的技法を駆使した紙漉き技術の伝承と、和紙を煤体とした和(輪)の広がりを願って行っています。というものの最初は非常に個人レベルの考えから始めました。藤森家に伝承された紙作りと家族が紙作りの中から創意工夫した技術を公開することを目的として手漉き和紙研修会を企画しました。それには1981年に行なわれたホノルル美術館でのPaper Making Workshopへの招待が大きな要因となっています。その体験をアレンジしてこの研修会をつくりあげました。1991年のワークショツプでは、23人参加者がいました。(うち9人:アメリカ、カナダ国籍)
- 和紙漉きの体験は出来ますか?
-
(財)阿波和紙伝統産業会館ではがき、半紙などの紙漉き体験が出来ます。短時間での体験はハガキが適当で、本格的な和紙の体験には数日必要とします。そのために毎年夏に手漉き和紙研修会を開催しています。
詳しくは和紙会館までお問い合わせ下さい。hall84@awagami.or.jp - 阿波和紙全ての生産ラインは、どんな種類がありますか?
-
厚さ、寸法、原料の種類、原料の配合によりいろんな種類の紙が出来ます。一言で、何種類とはいえません。小さい物で名刺大、大きい物になると3m位の版画紙も漉いています。厚さで言えば向こうが透けて見える様な紙から、3mm~5mmもの厚さの紙もあります。原料も楮、三椏、雁皮、麻の繊維を使います。それらの原料を使って表面の平滑な紙、にじみのある紙、引っ張り強度の強い紙など用途にあわせて作ります。
お客様の希望によりどんな注文の紙でも作ることが出来ます。それだけ多種多様な紙を扱っているということでもあります。
アワガミファクトリーでは通常は64×97cmの菊判と呼ばれるサイズの紙が標準です。この寸法を基準にして多くの種類の和紙を注文生産しています。アワガミファクトリー手漉き工房では、大型紙用の道具(簀桁)を保有しています。これらの変形も抄造可能です。また、機械漉きでは漉き幅最大120cmが可能です。厚さは150~180g/平方メーターを最大とします。標準として9.2Mロール巻に仕上げていますが、別サイズも可能です。 - 生産量はどの位ですか?
-
アワガミファクトリーの場合は、事務職や関連会社を含めると約57名以上で、紙や紙製品を年間約2~3億円位生産しています。枚数ですと約500万~600万枚になります。全国での生産数量は正確な統計資料はありません。
和紙について ~和紙辞典、原料や作業工程~
- 和紙とは何ですか?
-
日本的な特色を生かして作られた紙をいいます。
日本的な特色とは、
1)伝統的な手漉き技法が根底にある。
2)感性が日本文化に根ざしている。これで出来た紙を和紙と呼んでも差し支えないのですが、敢えてもう一つ制約を付け加えるとすると
3)楮、三椏、雁皮などの靱皮繊維を原材料とし、「ねり」を混抄すること、です。
広義に解釈すれば日本のどこかで、手で作られた紙を和紙と言っても過言ではありません。 - 和紙の特徴について教えてください。
-
和紙は、水にも非常に強く破れにくく、薄くて軽いのが特徴です。洋紙が何百年もたつと、ボロボロに朽ちてしまうのに対し、和紙はきれいに現存し、後世に歴史を伝える役目を果たしている事は、日本の歴史資料を見てもあきらかです。
また、水に強いことから、昔商店が火事になったとき、和紙に書かれた大福帖を井戸の中に投げ込み、火から守ったという話があるほどです。そして、軽くて温かいという特徴も見逃せません。同じページ数の洋書と和紙で作られた和紙を持ち比べて見てください。その重さの違いに、驚かれることでしょう。
このような、特徴を生かし、昔旅にでる人は、和紙で作った「紙衣」という「上っ張り」を着ました。芭焦が奥の細道を旅した時、夜の防ぎのためにこの「紙衣」を着ました。歩いて旅をする昔の旅人の持つ小物、お弁当箱ひとつを例にとっても和紙で作られた物が少なくありません。その他、きれいであるとか優しい肌触りであるとかいうことは、いうまでもありません。 - 和紙はいつ頃から造られているのですか?
-
紙作りの技法は中国で開発されました。前漢時代の遺跡から麻布のボロで作られた紙状の物が発見されていますが、後漢時代(105年)頃に、蔡倫(さいりん)と言う人が構(穀)皮を使って紙を造ったのが始まりとされています。
日本では推古天皇18年(610年)に、今の朝鮮半島(高句麗)から渡来した曇徴(どんちょう)と言う僧が、日本に伝えたと日本書紀に見ることができます。しかし曇徴がはじめて紙をつくったとは書かれておらず、おそらくそれ以前からの渡来人が作っていたと考えられます。
和紙が大きく生産量を増やしたのは聖徳太子の仏教の布教と大化の改新による租税のための検知事業による書類のための紙でした。阿波和紙は、古語拾遺(こごしゅうい)という本に、神代の時代に阿波の国では忌部族(いんべぞく)という朝廷に仕えていた人たちが、麻や楮を植えて紙や布の製造が盛んにしたという記録がありますが、西暦650年ごろから始まったのではないかと想像することができます。この地方を麻植(おえ)(現:吉野川市)と呼ぶのもその忌部族に関係があります。
- 和紙の原料はどんな物ですか?
-
古くから和紙の原料は、楮、三椏、雁皮の靭皮繊維を中心に使われてきました。それぞれに優れた特質があり、いずれも繊維が長くて強靱で、光沢があり、和紙の特徴である薄くて強い性質を表しています。これ以外に、書道用紙には木材パルプ、藁などをもちいています。最近では、野菜、野草、土などを入れて美術、工芸的な紙を漉くこともあります。
●楮(コウゾまたはカジ)クワ科カジノキ属の落葉低木。楮は大別すると次の三品種に分けることが出来ます。コウゾ(Broussonetia kazinoki Sieb.)カジノキ(Broussonetia papyrifera Vent.) ツルコウゾ(Broussonetia kaempfer Sieb.)ですが、これらは容易に識別できないので低級紙をつくる場合は同種のものとして扱っています。楮は本州、四国、九州、琉球(沖縄)や台湾、朝鮮、中国の暖地に分布しています。徳島県では四国山脈の山地にはえており、のちには山地や畑で栽培して製紙や太布の製造に使っています。徳島県麻植郡(おえぐん)(現:吉野川市)山川町には、高越山という1222mの高さの山があります。この高越山は、地元では「おこうつぁん」と親しみを込めて呼ばれていますが、この高越山という呼び名は、「加宇曽(こうぞ)加宇都(こうず)」が転化したもので、楮の繁茂している山という意味があるといわれるほど、和紙の原料の豊富な山でした。
●三椏(みつまた)ジンチョウゲ科の落葉低木。中国原産、慶長3年(1598)に愛知県で初めて栽培され、それが中国、四国、九州地方に行きわたり、特に紙幣や地図などを作る紙の原料として造幣局の専売品として契約栽培となったので、美馬郡、三好郡の山地に栽培されています。4月の開花のころには山が黄一色になってみごとな眺めです。枝が三つに分れるので三叉とも書きました。
●雁皮(がんぴ)本州の東海道から西と四国、九州の日当たりのよい山のふもとや山すそにはえています。この木の皮で漉いた紙は他のものよりすぐれていて雁皮紙といって尊重されています。
- 和紙の原料は、どこから入手していますか?
-
本来は、日本の国の山野、原野に野生していたものを取ってきたり、畑のあぜ道、山の傾斜地等に栽培をして収穫をしていました。しかし、和紙の消費量が少なくなるのと同時に、原料の生産高も少なくなりました。その大きな原因は、原料の販売価格が労働に見合うだけの価格で販売が出来ず、赤字生産になったためです。それと、フィリピン、タイなどから安い原材料の輸入が始まり、各地の和紙メーカーは好んでその原材料を使うようになったことも大きな要因です。
阿波和紙の場合は、楮については、徳島県から高知県県境に栽培されといる黒皮を使用しています。徳島では、二種類の楮が収穫されています。一種類は繊維の粗い、厚手の紙を漉くのに適し、もう一種類は繊維の細い、薄手の紙を漉くのに適した楮です。白皮は高知県で加工されたものを使います。しかしながら、機械抄きで使用されている楮はほとんどがタイ産の楮です。タイ産の原料を使い始めた理由は、日本国内産楮の生産量が急激に減少したことにより、楮の価格が急沸したため、価格の安いタイ産の楮を使い始めたのがそもそもの始まりです。現在では、価格の点も含めて、品質と量の安定供給がなされているために機械抄和紙メーカーには重宝がられています。
三椏は徳島県内で栽培され、加工されたものを使用しています。一部紙幣に使用されているため、一定量の三椏を大蔵省印刷局が購入しています。そのため山間部の農家では換金作物として栽培しています。
雁皮は、徳島で言う北地山(讃岐山脈)で多く収穫できます。栽培が出来ないため自生している雁皮を生剥ぎにして捕獲します。生剥ぎにするため収穫時期は、水揚げの良い春から夏にかけて収穫されます。 - 和紙の材料は、どのような状態で入ってきますか?
-
楮、三椏の場合は、蒸して木質部から剥皮した黒皮の状態か、もう一度手を加えた白皮の状態で農家から購入します。品種の違いによりそれぞれ分類され、共に15kgを一束として結束されています。
- 材料を使う前にどんな処理準備をするのですか?
-
原料処理といって、植物繊維を紙にするために、純粋な繊維だけを植物から取り出す作業をします。
まず始めに、楮などの原料を一夜水の中に浸し、水に溶出する物質を取り出すことにより繊維が柔らかくなり、また、煮熟する際に使用するアルカリが浸透しやすくなるようにします。煮熟は伝統的な方法では、木を焼いたときに出来る灰から植物のアク(アルカリ液)汁を取出し、その液で楮などの原料を煮て繊維質と非繊維物を煮熟分離していましたが、今は苛性曹達、ソーダー灰などで煮熟処理をしています。 - どのような道具で和紙を漉くのですか?
-
伝統的な方法では、簀(す)と桁(けた)を使います。簀は竹ひごを絹糸で編んだ大変精巧なものです。桁は桧の正目を使ったもので、水に長時間入れて使用しても寸法に狂いのないものです。
- 和紙の漉き方は、どのようにしますか?
-
紙の漉き方には大別して、流し漉き(ながしすき)と溜め漉き(ためずき)があります。大半の和紙は流し漉きの手法を取っています。
「溜め漉き」とは西洋式の手漉き紙の抄紙方法をこのように言います。古くは、日本でもこの方法で紙を作っていたはずです。語源は明治時代に東南アジアの各地で行なわれていた「流し漉き」と区別をするために、誰か学者が作った造語と言うことを聞いたことがあるような記憶があります。
流し漉きは4~5回以上漉き舟のなかの原料をくみ込み、繊維を簀の上を前後に揺らし、繊維の絡みを作ります。反対に、溜め漉きは、基本的に1回の組み込みで紙にします。大きな違いは、流し漉きは、薄い紙ができます。溜め漉きは厚い紙を作るときに適した技法です。 - 一日に一人で何枚出来ますか?
-
和紙の大きさや、厚さにより違います。
アワガミファクトリーでは、2×3m以上の紙や小さいもので名刺サイズまで製作しています。大きい紙は一日に2枚ぐらいしか出来ないこともあります。通常は平均的な和紙の大きさの60×90cmの大きさで100枚から150枚です。一日の生産数量は、紙漉き職人さんの技量によるところが大きいです。 - 和紙にはどんな種類がありますか?
-
用途により色々な種類があります。
寸法、厚さ、原料、染色、加工の違いを区別すると、千数百種類もあります。アワガミファクトリーではこれらの区別は基本的にはコード番号でわかるようにしていますが、古い呼び名で呼ばれることもあります。
例えば、地方名で呼ばれる場合、美濃紙、石州紙、阿波紙など、用途で呼ばれる場合、奉書紙、裏打ち紙など、原料名で呼ばれる場合、楮紙、三椏紙、雁皮紙など、大きさで呼ばれる場合、程四紙、仙四紙など、加工の方法で呼ばれる場合、具引き紙、ドーサ引き紙などがあります。 - 和紙造りで難しいところ、苦労する事は何ですか?
-
製作行程のなかでは、紙を漉くところをかなり練習しないと出来ませんが、やる気があれぱ誰でも出来ます。新製品を考案して、売れる製品を次々に試作するのは、苦労と言うよりは、造る楽しみがあります。
- 誰が手漉きの紙を漉く簀や他の道具を作っているのですか?
-
専門の職人が、高知県、静岡県、岐阜県、愛媛県などで道具を作っていますが、紙漉きの衰退とともに推移してきました。現在では、殆ど需要がないので専業の仕事としては成り立たないようです。ただ、ここ5年や10年でその道具を作る人がいなくなることはないと考えています。また、隣国の韓国、台湾、中国でも紙漉き技術がありますので、当然紙漉きの道具作りの技術も残っています。
- 和紙は機械で造ることがありますか?
-
手作業で人が造った紙を、「手漉き和紙」、機械で造った和紙を「機械抄き和紙」と言い二つの作り方があります。
原料や材料は同じ物を使いますので、どちらが良いとか悪いとは言えません。第二次世界大戦後直ぐの頃までは、手漉きが主でしたが、時代の機構の移り変わりと共に、手で漉いていただけでは、需要と供給とのバランスがとれなくなり、機械抄きの方法が考案されました。和紙の機械抄きの場合は、楮の繊維を抄くことを目的として考案されました。楮の繊維は太くて長いため、原料の移送や抄紙、乾燥に独特の工夫が必要で、機械といえども大量生産は出来ません。
アワガミファクトリー(阿波和紙)では、手漉き部門を(財)阿波和紙伝統産業会館内に置き、実際に和紙作りを見学できるようにしています。また、機械漉き和紙は富士製紙企業組合が担当して製造し、卸販売専門にしています。 - 機械抄の工程は、手漉きと違いますか?
-
基本的には、手漉きも機械抄も工程は同じです。原料作り、原料の分散、抄紙、脱水、乾燥、仕上げの工程です。ただ、楮の繊維を使った原料の作り方は、全く手漉き紙と同じです。大きな違いは、抄紙時に手漉き和紙の場合は、原料の汲み込みを数回繰り返し繊維の絡みを作りますが、機械抄きの場合はそれがありません。
その他の手漉き紙と機械抄き紙の大きな違いは、手漉き和紙の場合は柔らかく仕上がり、機械抄きの場合は硬く仕上がります。これは乾燥方法による違いだと思います。
また、縦横の引っ張り強度も抄紙方法の違いによるために大きな差が見えます。手漉き和紙は5~6層の繊維の絡みから紙を構成しています。このため強度に差が出で来るのですが、見た目には変わりません。機械で漉いても製紙用粘剤を使用しており、これが大きな違いです。
それともう一つ言えることは、大企業の洋紙メーカーとの機械のスピードと比べると1/10、物によれば1/100くらいの生産量しか上げられません。ただし、こんな原始的な機械なので微妙な機械の操作により、いろんな紙の漉き分けができるというのも特徴です。 - どのような機械を使用するのですか?
-
紙を漉く場合和紙の場合も洋紙を漉く機械とだいたい似たようなものです。懸垂式短網抄紙機と呼ばれていますが、原形はヤンキー式抄紙機で、これを楮の長繊維を抄紙出来るように改良したものです。
- 伝統的工芸分野での仕事上、なにか困難な事や間題がありますか?
-
和紙は今まで素材として供給されてきました。しかし、伝統工芸を取り巻く環境から推測すると、素材として提供する分野は、他の新しいものに取って代わられ、素材としての和紙の占める分野はどんどん無くなって来ています。
全国で300軒以上の紙漉き場があると言われていますが、今の素材としての和紙の需要を賄うのにこれほどの数が必要ないのかもしれないというのが現状です。和紙そのものを素材として捕らえるのではなく、もう少し付加価値の高い素材或いは作品に近い商品として作り込まなければならないと考えています。
伝統工芸も含めたあらゆる産業において、新しい考え方が要求されています。それは常に自己否定をすることから始まります。和紙とは何なのか。手漉きとは何なのか。などなど。これを繰り返すことにより伝統を作り上げ、継承して行くことだと考えています。 - 和紙で織物は出来ますか?紙を切って糸を作り布にした紙布は耐水性があり染色が出来ますか?
-
紙糸にできる和紙ということになります。
使う人の好みもあるかと思いますが、一般的に楮紙で薄手のものが使われるようです。 また耐水性をもたせようとするならば、コンニャク糊を塗布すればよいかと思います。それも、2~3回、塗布と乾燥を繰り返せば、より強度も増すようです。紙自体の強度にもよりますが、コンニャク糊をひいてある紙は、多少であれば洗濯も可能だと思われます。
染料は、布を染色できる染料であれば、紙にも応用を効かせることができます。私どもでは直接(化学)染料、植物染料を用います。それぞれ、作る紙に応じて使い分けています。 化学染料にもいろいろ種類があるかと思いますので、ご自分の染色方法や環境で、染色がしやすいようなものを選ばれたらよいかと思います。種類により、色止めの必要性や方法も異なるかと思います。 - 和紙の耐久性について
-
弊社で生産する和紙は、多くが中性を保持しておりますが、製造の都合上、いくつかの種類で酸性寄りの製品もございます。
それぞれの耐久性について科学的に検証はできておりませんが、中性を保持している紙については、通常の保存状態(高温多湿、直射日光が長時間に渡って当たらない等)を保持できれば、かなりの年数で大きな変化は見られないと言われています。
酸性寄りの紙とは、濃い色目に染料で染色した素材が該当します。
プリント出来る和紙について
- インクジェットプリンター対応の和紙はありますか?
-
インクジェットプリンターでの御利用ということでしたら「コピーのできる和紙」という製品がございます。 この商品はインクジェットプリンターとレーザープリンター供用です。
A4サイズで、10~20枚入り、価格は600~800円になります。 (入り数と枚数は、紙の種類によって異なります。)
また、A.I.J.P.(アワガミ・インクジェット・ペーパー)は、「フルカラー対応のインクジェットプリンター専用和紙」です。
インテリア用和紙について
- 和紙で電気スタンドを作りたいのですが、燃えたりしませんか?
-
通常使われる程度のスタンドでは、めったなことでは和紙は燃えたりもしないと、県の工業技術センターの方より聞いております。
私共の和紙も、販売先のメーカーさんにより灯に加工されていたりしますが、いずれも漉いたままそのままの和紙を用いられており、熱に対しても加工はされておりません。
ただ、紙を選択されるとき、レーヨンが混入されているものは避けられるべきだと思います。レーヨンは、熱に対して非常に弱いです。
滅多なことでは燃えないとはいえ、やはり電球が和紙で密閉され熱がこもらないようにすべきかとは思います。
また和紙と電球の距離は10cm程度は開けられるほうが、安心ではないかと思います。ランプ用におすすめの和紙はこちら
・ランプ用原紙
・金和紙ロール
・金和紙ストライプロール
・銀和紙ロール
・麻落水ロール
・麻落水ストライプロール
アワガミファクトリーの商品について
- だんじりに貼る「センガシ」「ガセンシ」の用途、厚さ、色等を教えてください。
-
だんじりはケヤキで作られておりその木口(切り口)に半紙を貼っております。本来は「センガシ」「ガセンシ」を貼るそうです。 泉貨紙、仙過紙と書きます。
紙名の由来は人の名前で伊予の国宇和島の城主の名前だと言われています。漉き合わせの楮厚口紙の未晒で、紙の中にゴミがあっても気にしない紙です。厚くて強靱なのが特徴です。また「漉きあわせ」とは、二枚を1枚にして乾燥することで、「漉きあわせ」ることにより厚い紙が出来上がります。伝統的な用途として、台帳、経本(お経の本)、型紙のほか紙合羽や紙衣に用いられました。産地は、伊予で初めて作られましたが、江戸時代には土佐、阿波、備後、淡路などで作られました。
現在は、宇和島と阿波(当社)くらいです。当社の紙では、DHM-9が宇和仙貨紙として作られています。要するに、楮の二層紙であれば、あるいは楮の厚い紙であれば代用は出来ます。
出力サービスについて
- 出力サービスで使っているプリンターや印刷設定を教えてください。
紙漉きセットについて
- 「紙すきの手引き」には、水1リットルに対して原料20グラムとありますが、これは乾燥した状態での20グラムなのでしょうか、それとも濡れている状態ででしょうか?
-
原料は湿った状態(こちらからお届けした状態)で20gです。
これはあくまでも目安で、薄めの原料を作り、何度もすくい上げる方が表面が滑らかな紙が出来ます。 - 「紙すきの手引き」には粘材は、水1リットルに対して約0.2グラムと書いてありますが、楮の原料を入れた1リットルの水に混ぜるのですか、もしくは別に1リットルの水に溶かしておいたものを楮の原料と混ぜるのですか?
-
粘剤はペットボトルなどの容器に別に溶いて、少しずつ原料を解いた水に加えていって下さい。薄い紙を漉く場合は、粘剤を濃いめに入れますが、厚い紙を漉く場合は、水はけが悪くなりますので、少量で大丈夫です。
- 粘剤を水に溶かすと「だま」になってしまいます。きれいに溶かすには、どうすればいいのでしょうか?
-
粘剤についてですが、コツとしましては、容器に水を入れ、かき混ぜながら少しずつ粘剤の粉末を加えていくとだまになりにくいようです。
また、どうしてもダマになってしまった場合は、ザルなどでこしていただければ使えます。粘剤は水に溶かしてから一晩くらいおいておいた方が粘り気が出ます。 - 水に溶かした粘剤は、どれくらいで使い切ればよいでしょうか?どのくらい保存がきくのでしょうか。
-
水に溶いた粘剤は、日が経つと次第に粘度がなくなってきますので、2、3日で使い切るくらいが理想的です。
- 粘剤とサイズ剤は両方とも化学薬品なのでしょうか?使用して手が荒れたりしませんか?
-
粘剤、サイズ剤ともに化学性のものです。
どちらも中性ですし、相当希釈して使用しますので、皮膚への害はまずありません。
ただし、サイズ剤の希釈前のものは一応薬品ですので、皮膚などへついた場合はすみやかに水で洗ってください。 - こんにゃく粉を塗布することで、どのような効果を得ることができるのでしょうか?
-
こんにゃく粉を糊状にして紙に塗布すると、耐水性が強くなります。
これはサイズ剤のような水をはじくものとは異なり、水や染料は浸みこみますが破れにくい、という紙になります。
藍染めをする和紙には、必ず「こんにゃく引き(こんにゃく糊の塗布)」を行います。 - 原料が水にきれいに溶けません。交ぜても交ぜても「雲流紙」に入っているような繊維の糸状のものがなくならないのですが、どうしてですか?
-
なかなか原料が水に溶けない場合、漉く前に原料を1時間ほど水に浸けてからご使用ください。それでもなかなか溶けない場合は、重曹を水に対して7〜8%ほど入れ、その中に原料を入れて約30分ほど炊いてください。弱アルカリ性液で炊くことで繊維がほぐれやすくなります。